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名古屋地方裁判所 昭和30年(ワ)812号 判決

原告 山田重信

被告 田中幹夫

主文

被告は原告に対して金二万九千三百二十七円及び内金一万七千五百一円に対する昭和三十年六月八日以降完済に至るまで年五分の金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分しその一を被告、その余を原告の各負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り金一万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し名古屋市昭和区明月町三丁目六番地上木造瓦葺二階建居宅一戸建坪延二十九坪七合を明渡し且金四万百七十一円及び之に対する昭和三十年六月八日以降完済に至るまで年五分の金員並に昭和三十年七月一日以降右家屋明渡済に至るまで一ケ月金千九百七十一円宛の金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は昭和二十年九月被告に右家屋を賃料は毎月末日払の約として期間の定めなく賃貸し、賃料は公定賃料を支払うべき旨協定し、昭和二十七年九月一日以降同年十一月末迄一ケ月金八百九十四円、同年十二月一日以降昭和二十八年三月末迄一ケ月金千六百七十五円、同年四月一日以降昭和二十九年三月末迄一ケ月金千六百八十三円、同年四月一日以降現在まで一ケ月金千九百七十一円となつたが、被告は昭和二十七年九月一日以降昭和三十年四月末迄の賃料合計金五万五千百七十一円の内え金一万五千円支払つたのみで残金四万二百一円の支払を為さずその後昭和三十年六月二十九日、同年五月分及び六月分の賃料合計金三千九百四十二円を送金したがその後の賃料を支払わないので、原告は被告に対し昭和三十一年一月二十六日(本件最終口頭弁論期日において)右賃貸借契約解除の意思表示をした。なお、被告は原告の承諾なく第三者に右家屋の一部を転貸したことがあるから右無断転貸を理由としても同時に右賃貸借契約を解除する。従つて右賃貸借契約は適法に解除された以上被告は原状回復義務の履行として右家屋を明渡し且延滞賃料を支払うべき義務がある。仮りに右契約解除が理由ないとするも原告は本訴において被告に対し自己の使用するに必要であるため右賃貸借契約解約の申入を為し本件訴状が昭和三十年六月七日被告に到達したから、右賃貸借は六ケ月の法定期間を経過した同年十二月七日をもつて終了した。而して、原告は大工職であるが戦時中現住所へ疎開し名古屋市西区所在の庄内建築合資会社に雇われ通勤していたが昭和二十八年十二月妻に死別し二女妙子を相手に朝夕炊事をした上遠路交通不便のため自転車で通勤したことから昭和二十九年五月以降身体衰弱し医師からも遠路の通勤を禁ぜられたので、名古屋市へ転入すべく被告に対し右家屋の明渡を求めたが応ぜず、被告は右家屋が階下六畳二間、二畳、三畳計四間、二階八畳六畳三畳計三間あつてその家族として夫婦に子供二人の四人に過ぎないため、相当の余裕があるのに拘らず原告から昭和二十九年六月昭和簡易裁判所に調停を申立て、十二回に亘る調停委員会の熱心な折衝にも耳を藉さず右家屋の一部をすら明渡すことにも難色を示し遂に調停も不調となつたもので、原告としては家族は長男透(二十九歳)次男志郎(二十五歳)長女成子(二十二歳)二女妙子(十七歳)の四人が目下右妙子を除き離れ離れに生活しており原告も既に老齢に達し遠路交通不便な所から通勤することも苦痛である上健康もすぐれず一旦病気にでも罹れば看病する者とてなく非常に困難を来すこと必定であり、子女が適齢期にあるのでその将来を考え一日も早く親子一ケ所に居住して生活する必要があるから、右家屋を自己の使用の必要に迫られているので右解約申入には正当の事由がある、従つて被告は右賃貸借の終了によつて右家屋を明渡すべき義務がある。

よつて被告に対し右家屋の明渡を求め、且昭和三十年四月までの延滞賃料金四万百七十一円及び之に対する訴状送達の翌日である昭和三十年六月八日以降完済に至るまで年五分の遅延損害金並に昭和三十年七月一日以降右家屋明渡済に至るまで一ケ月金千九百七十一円宛の賃料及び賃料相当の損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだと陳述し、被告の主張事実中その主張の如き修繕費を要したことは争わないがその余の事実を否認すると述べた。〈立証省略〉

被告は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張事実中原告主張の日にその主張の家屋をその主張の如き約定で賃借したこと、原告主張の調停が不調となつたことを認めるが右調停は原告の責任において取下げたものである。その余の事実を否認する。被告は右家屋を賃借後約定賃料一ケ月金三百四、五十円を毎月末日支払つて来たところ、原告は賃料の公定が定められた当初不当にも従来の賃料を三倍以上値上げすると申入れて来たが被告は之を公定賃料として承認した上交通費をも添えて支払つていたが原告の賃料取立が遅れ勝ちで遠方のこととて被告から毎月送金する旨申入れても何故か原告において承知せずその後果して被告に同居を求め被告が種々の事情から応じなかつたところ、遂に口実を構えて立退を強要し昭和二十七年九月以降は被告から文書をもつて「賃料支払の意思があるから取立てに来ること及び公定賃料額を明示すること」を求めたが、原告は之に応じないのみでなく、その後昭和二十九年五月に至りその主張の如き事情を理由として同居を強要し更に被告の不在中に留守居の婦女子を強迫した事実もある。しかしながら原告側にその主張の如き事情が存在するならば原告が訴外中須賀正に約二年間の契約で賃貸している被告の隣の貸家が既に八年も経過しているので約定に基き右訴外人に明渡を請求すべきであるのに拘らずその挙にでないで被告に明渡を求めることは不当である。而も原告は老齢と云いながら壮者をしのぐ健康でオート二輪車を乗り廻して仕事に従事しておる位で何等その通勤に支障がない。之に反し被告居住の右家屋は階下六畳二間玄関二畳、二階八畳六畳三畳計六間で被告夫婦と子供二人の外妹及び実母が居住し、さして余裕がなく、直に明渡を求められても移転先がない。殊に原告主張の調停事件において原告から被告方一室の明渡を求めたが右家屋は階上階下(床の間、押入)が雨漏のため家財の整理のできないことを告げたところ、調停委員会も実地検証の上その実状を確認され、原告の負担で雨漏を修理した上同居を申込むのが至当であると勧告され、被告は勤務上宿直があり婦女子ばかりとなるため被告の住居と無関係に遮断して階上三畳を明渡すことを承諾し調印することになつたのに突然原告から調停を取下げたものでその不調の責任は原告において負うべきものであつて、結局原告の右賃貸借契約の解約申入は正当の理由がない。又右家屋は昭和二十六年の台風で階上八畳床の間の壁一坪、階下便所の壁一坪半及び表裏の塀全部が倒潰したのでその応急修理に要した費用金三千円、その後盗難及び雨漏を防ぐ必要上右板塀壁等の修繕に要した費用金一万七千円、昭和二十九年の台風の際南側壁の倒潰防止のためトタン六枚を張つたのに要した費用二千七百円、合計金二万二千七百円の必要費を被告において支出したので、原告に対し直に償還を求めることができるところ、本訴において延滞賃料債務と対当額において相殺する。なお昭和三十年六月一日以降の賃料は原告において取立に来れば何時でも之に応じ支払う用意があるから賃料不払を理由とする原告の契約解除は効力がない。従つて原告の本訴請求は総て失当であると述べた。甲第一号証の成立を認めた。

当裁判所は職権で被告本人を尋問した。

理由

被告が昭和二十年九月原告からその主張の家屋を賃料は毎月末日払の約で期間の定めなく賃借し、その後公定賃料に従い賃料を支払うべき旨協定し、その賃料が昭和二十七年九月一日以降同年十一月末日迄一ケ月金八百九十四円、同年十二月一日以降昭和二十八年三月末日迄一ケ月金千六百七十五円、同年四月一日以降昭和二十九年三月末日迄一ケ月金千六百八十三円、同年四月一日以降現在に至るまで一ケ月金千九百七十一円となつた事は当事者間に争がない。

そこで原告は被告が昭和二十七年九月以降昭和三十年四月末日迄の賃料の内金一万五千円を支払つたのみで残金の支払を為さず又昭和三十年七月以降の賃料を支払わないので契約を解除する旨主張するので考えて見るに、原被告本人の各供述によれば被告としては公定賃料を支払うことに異存がなかつたが原告の賃料取立が遅れ勝ちであつた上昭和二十七年九月以降はその取立を全くせず統制令の改正による賃料改訂額をも被告に通知しなかつたため被告は正確な賃料額も判明しない儘従前の賃料額に基いて計算した金一万五千円を取りあえず送金した外右家屋の損壊部分につき被告の支出した修繕費を清算すべきこと及び被告から毎月送金しても良い旨申入れたのに拘らず原告は之に応ぜず、却つて家屋の全部又は一部の明渡乃至同居を求め遂に本訴の最終口頭弁論期日において賃料不払を原因として右賃貸借契約を解除するに至つた事実を認めることができる。以上の事実によれば被告が昭和二十七年九月以降昭和三十年四月分までの賃料残金を支払わなかつたのは原告において賃料取立をしなかつたことが主たる原因であつてその遅滞の責任を被告に負わすべきものでなく寧ろ原告の受領遅滞に基因したものであり、又昭和三十年七月以降の賃料については賃料額が正確に判明せず且修繕費との清算の結果支払うべき金額も判明しない儘抗争中に発した賃料の遅滞であるからその責任を全部被告に帰すべきでなく、従つて修繕義務の履行遅滞に在り取立債権を受領遅滞していた原告が相当の期間を定めて催告せず突然本件最終口頭弁論期日において右賃料不払を理由として契約を解除することは許されない。仮りに訴提起の時から相当の期間経過しているため解除権が発生しているとしても本訴において被告は賃料の取立に応じ直に支払うべき旨答弁して履行の提供をしているので、たとえ被告において弁済供託の手続を採らなかつたとはいえ諸般の事情に照して考慮するときは原告の右契約解除権の行使は権利の濫用であると見るべきであるから被告に対して為した原告の右契約解除の意思表示はその効を生じないものである。

次に原告主張の無断転貸を理由とする契約解除について判断するに被告本人の供述並に弁論の全趣旨に徴すれば被告が昭和二十五、六年頃当時居住家屋に余裕ある場合に課税されるとの風説があり被告も之を信じて取りあえず住居に困つて友人である訴外伊藤某外一名を原告の承諾を得ないで一、二年間一時同居せしめたことがあるが右風説が真実でないことが判明したため間もなく立退いて貰い、原告も当時その事実を聞知しながら何等苦情を申出たことがなく、現在では被告の家族の外同居人も居ない事、そして原告は昭和二十九年五月頃被告に対し自ら使用する必要があるとして右家屋の明渡を求めるに至り又その一部の明渡を得て同居することを求めるため同年六月昭和簡易裁判所へ調停を申立て種々折衝を重ねたが遂に不調になつた。しかし右調停及びその後の本訴においても無断転貸を理由として契約を解除する旨主張せず被告においてもはや原告が右転貸を理由とする契約解除権を行使しないものと信じ右調停における折衝及び訴訟における答弁を重ねて来た事実を認めることができ、右認定に反する原告本人の供述は措信しない。

而して契約解除権を有するものが久しきに亘りこれを行使せず相手方においてその権利はもはや行使されないものと信頼すべき正当の事由を有するに至つたためその後これを行使することが信義誠実則に反すると認められる特段の事由がある場合にはその解除権を行使することは許されないものと解すべきである(昭和三〇年一一月二日及び同年一二月一六日最高裁判決参照)ので、今これを本件について見るに昭和二十五、六年頃当時余裕住居に税金が課せられるとの風説があり毎月賃料を取立に行つていた原告は、被告が当時住居に困つていた友人を短期間好意的に同居せしめたことを聞知しながらこれを直に問責することなく看過し、これを理由として被告に右賃貸借を解除する事は当時の名古屋市内における住宅払底の実状に徴し適当でなかつたためその後昭和二十九年五、六月頃から老齢のため通勤に不便である等自ら使用する必要あることの理由で右家屋の明渡を求め或は同居を求める調停を申立た際にも被告の無断転貸を理由として契約解除を主張したことなく又本訴を提起する際にも訴状記載の請求原因においてはその事由を主張することなく経過して昭和三十一年一月二十六日の最終口頭弁論期日に至り始めてこれを理由とする契約解除を主張するに至つたものであるから、右解除権は既に五年余に亘り行使されず被告としては一年有半に亘る右調停及び訴訟においてもはや右無断転貸による解除権が行使されないものと信頼してこれに対処して来たところ当裁判所の職権による被告本人尋問の際において被告が不用意に述べた古い転貸の事由をとらえて原告において解除権を行使するが如きことは著しく信義誠実則に反するものと認むべきであつて、右解除権の行使は所謂失効の原則によつてその効果を生じ得ないものと謂わねばならない。

されば原告の右賃貸借契約解除の主張は何れの理由によるも失当たるを免れない。

更に原告の解約申入について判断するに原告が本訴において被告に対し右賃貸借契約の解約を申入れ、訴状の副本が昭和三十年六月七日被告に到達したことは本件記録によつて明かであるが、右解約申入には以下述べる如く正当の理由が存しない。即ち証人中須賀正の証言、原被告各本人の供述及び弁論の全趣旨を綜合すれば原告はもと名古屋市東区飯田町で建築業を営んでいたが戦時中昭和十九年に現住所に疎開し十坪位の家屋を建築して居住し農業を営む傍ら終戦後は名古屋市西区所在の庄内建築合資会社に大工職として雇われ自転車で通勤していたが昭和二十八年妻を亡くしてからは二女妙子(現在中学三年生)を抱え早朝から炊事等の家事を処理した上六時半には家を出て夜八時半過頃帰宅する無理な生活が患いして老齢(現在六十一歳)のため遂に昭和二十九年五月頃病を得て医師から遠路の通勤が無理である旨勧告された上、家族である長男透が結核で入院中であり長女成子が住込で病院の看護婦として勤め、次男志郎は大阪に在住して一家離散しているため名古屋市内に一緒に住みたいと思い被告に対し右家屋の一部の明渡を求めたが拒まれたものであり、一方被告は昭和二十年九月頃右家屋(階下六畳二間二畳階上八畳六畳三畳計六間)を期間の定めなく(当時賃料一ケ月金三十五円)借受け夫婦と子供二人に妹及び実母が同居しているのであるが被告は電話局に勤務して一週に二回位の宿直があつて夜は婦女子のみで留守をするため、原告を同居さすことは家族が同意せず原告から一部明渡を求められるも同居には応ずることができず又全部の明渡を求められても移転先がないのでたやすく明渡請求に応じられないところから調停の際にも種々折衝し調停委員会が現地へ出張して実状を調査された結果二階三畳を他の部屋と壁で遮断し別に出入口を造り炊事場便所も屋外に造る事を条件で大体同居することを承諾する運びになつたのであるが最後に原告が応じなかつたので不調となり本訴に移行したものであつて、現在においては原告は名古屋市内の勤先もやめ現住所で農業に従事しており本件家屋に入居する緊急の必要もなく又本件家屋の外に隣家の訴外中須賀正に賃貸中の借家も同人には長男透が結婚するまでの約で賃貸しているが長男は目下入院中で右訴外人から明渡を受けられない事情にある事実を認めることができる。

従つて以上の事実関係の下においては原告が右家屋を自ら使用する必要性と被告が明渡を求められる苦痛等の双方の利害関係を比較考慮するときは原告が右家屋を自ら使用するに必要であるとして解約を申入れる為めには未だ正当の理由が存しないものであるから原告の右解約申入による契約終了を原因とする右家屋明渡の請求も理由がない。

よつて進んで原告の延滞賃料の請求について考えて見るに、被告が昭和二十七年九月一日以降昭和三十年四月末日までの賃料合計金五万五千二百一円の内へ金一万五千円を支払つたのみで残金四万二百一円が未払となつており又昭和三十年七月一日以降の賃料を支払つていないことにつき被告において明かに争わないで(昭和三十年五月分及び六月分の支払済であることは原告の自認するところである)本件口頭弁論終結の時までに支払期の到来した昭和三十年七月一日以降同年十二月末日までの賃料(一ケ月金千九百七十一円宛)合計一万一千八百二十六円も未払であるから被告は以上合計金五万二千二十七円の支払債務を負うものである。ところが被告は右家屋につき金二万二千七百円の必要費を支出したので右賃料債務と対当額において相殺する旨主張するので更に判断すると、被告がその主張の如き修繕費を支出したことは当事者間に争がなく、なお被告本人の供述によれば右修繕費が何れも右家屋の保存のために要した必要費であつて原告の負担に属するものと認められるので被告から直に償還を請求できるものであるから相殺の適状にあるものと見られるので被告の右相殺の意思表示は適法である。従つて右必要費償還請求債権と右延滞賃料債務と対当額において相殺した残金二万九千三百二十七円を被告において支払うべき義務がある。ところが原告は本訴提起の時までに支払期限の到来した延滞賃料につき遅延損害金を請求するが、前認定の如く内金二万二千七百円は相殺によつて消滅したから残金一万七千五百一円についてのみ被告は本件訴状送達の翌日であること記録上明かな昭和三十年六月八日以降完済に至るまで年五分の遅延損害金を支払うべき義務がある。(昭和三十年七月分以降の賃料には遅延の責任の主張がないので論外である)

よつて被告に対して右延滞賃料金二万九千三百二十七円及び内金一万七千五百一円に対する昭和三十年六月八日以降完済に至るまで年六分の遅延損害金の支払を求める限度において原告の本訴請求を正当として認容し、その余の請求部分は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 村本晃)

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